物語と日記

内海淡水のフィクション・物語と日記のブログです

物語190208

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日本寫眞記(2)-4-
嵯峨や嵯峨野、それに太秦という地域に愛着を持つ感性を紐解きます。
十代の多感な三年間をこの界隈に親しんだからだと思っています。
16才になるとき嵯峨野高校に入学、18才の終わりまで高校生でした。
この年代は1963年から1966年、昭和38年から昭和41年春までです。
今年は2019年ですから、50年以上、半世紀以上の年月が過ぎています。
自分が育った風土の一部が、この地域と共生していると思えるのです。

ヒトの心というか、感性、ヒトが拠って起つ場所があるとしたら、ぼくには此処。
そんな思いが近年していて、具体的にこの地域を歩いて回っている感じです。
そのころには作家になることを夢見ていたなぁ、具体的に動こうとしていたなぁ。
もとからサラリーマンになるなんて考えられなかったし、職人も考えられなかった。
中学生から高校生、二年生のころまでは音楽家になりたいけどなぁ、と思っていた。
高校二年頃から作家、詩人より小説家になりたいと現実味を帯びて思っていました。

もう人生終わりかけてきている現在、自分と風土の関係の中に感覚があります。
想いだから、わからない、言葉にはならない、でも言葉を連ねる今です。
写真を連ねているけれど、やっぱり底辺には言葉がある、そう思うところです。
言葉、文章、それにイメージとしての写真・静止画、これの組み合わせですね。
言葉なしの、インパクトある写真は、撮れない、性の領域はインパクトあるけど、撮れない。
どうしたことか、いつのまにか、この風土の中にカメラを持ち込んで、終えようとしている。
中川繁夫のホームページ

物語190207

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日本寫眞記(2)-3-
広沢の池の北側から山に添っていくと大覚寺の大沢の池に至ります。
山越のバス停から千代の小道に添って歩いて広沢の池の前を通過です。
ゆらりゆらりと歩いていって、曲がり角になるあたりで道から外れます。
頼りはグーグルのマップ、スマホの画面は歩きスマホできないです。
立ち止まって、確認しながら、道なき道を歩いていきました。

このあたりも古墳群がある、というようなので、古墳を探して歩く。
何の表示もなかったら、そんなのわかるわけがない、と思うけど。
それなりに、そんな気配を感じるポイントを見つけて、写真に撮った。
カメラは、スマホ、ぼくのはアンドロイド、カメラはエクスペリアです。
よくよく、何度か、このあたりを探して歩きだして、かれこれ一年になります。
中川繁夫のホームページ



物語190206

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日本寫眞記(2)
日本寫眞記というタイトルは、あまり即していないと思っているところです。
第一集は、先っ飛鳥から奈良、それと京都大江山の元伊勢をまとめたものでした。
いよいよ第二集と思っていて、昨日から連載しはじめたところです。
日本の心情のルーツを探っているところですが、写真は現在そのものです。
なるべく手を加えないようにして、ストレートフォトの系列で、紡いでいます。
昨日は嵯峨野風景で、今日は蚕ノ社の境内を撮った写真です。
蚕ノ社は通称名で、本名は言いにくいので、案内の写真を添付しておきます。

太秦から嵯峨野、奥嵯峨といった地域は、ぼくが高校生の頃に親しんだ場所です。
その頃には思春期を過ごし、好きな女子が現れたり、思い悩んだりの年代でした。
訪ねて歩くのは、そういう記憶を辿って、自分の在処を探っていく道筋です。
いま「愛の物語」というタイトルで小説を試みていますが、これは市中の話。
大きくは二つの領域というか地域をバックヤードとしたフィクションです。
写真イメージを連ねて、フィクションが成立するのか、という問題提起もあります。
ここの物語は、それらのフィクションを補足するために書いていこうと思うのです。
中川繁夫のホームページ
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物語190205

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はなと小説ホームページ
中川シゲオの物語、再開です。
京都は千本通りの上立売に釘抜地蔵尊があります。
子どものころから身近にある寺で、石像寺が正式な寺の名前です。
くぎぬきさん、釘抜さん、と呼ばれて市井の庶民に親しまれる祈願所ですね。
願掛け、竹の棒を束ねて持って、このお堂のまわりをまわって拝んでを繰り返す。
一回まわると竹の棒を一本返す、祈願、自分の事、身内の事、平癒を願う。
空海(弘法大師)がこの地に来て、なにやら行為したあとにこのお堂が建った。
釘抜を人体に見立て、釘抜の自分が病む処をさすって、自分にさすり返す。
節分の日に撮影した写真を載せますが、本尊だと思う、御開帳されています。
平時は扉が閉めてあって、拝むことはできるが、見ることはできません。

平安京のころ、千本通りのこの辺は、大極殿の北側になる処です。
ぼくの推測で話をすすめますが、千本通りは蓮台野へ進む道です。
野辺送りというか葬送に、千本通りを北上する。
そのとっかかりが、ここ釘抜地蔵尊がある、この場所です。
千本の由来は、桜が千本というけれど塔婆が千本立っていたとの話も。
そうか、塔婆が千本立っていたのか、此処から200mほど北にえんま堂がある。
あの世へいく道筋で閻魔大王の裁きを受けなければなりません、ここはその手前です。
まだ、この世ですね、釘抜地蔵尊、この世で苦し四苦八苦する、この世の最果て。
救いを求める気持ちで、仰ぐ気持ちを、宗教心といえばいいのか、とも思います。
中川繁夫のホームページ



食べ物語-1-

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はなと小説ホームページ
ぼくは食べ物のブランドとかにはこだわらないタイプの人間です。
こうして思うと、むしろ安物買い的なタイプの人間だと思えます。
高級食材なんて、とてもじゃないが、食べようとは思わないタイプです。
食べ物と金銭価値との関係が、良くつかめないからです。
今日から「食べ物語」というタイトルで、写真と文章を連ねてみます。
思うままに、問わず語り、主題はなるべく食べることにまつわる話にします。
写真は鴨ロース、お正月に彼女が作る定番料理です。


食べ物日記-12-

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中川繁夫のホームページ
食べ物を話題にしてブログに記事を書くというのは、ごくごく無難な話題です。
話題は豊富で、いくつもの系があって、ぼくは最近は外食系で記事を書く。
食べ物は、生存のためには必須のもので、これなしには生きられない。
料理は、それぞれの国や地域、それぞれの時代、各種多様にあります。
食産業は、いまや、とてつもなく拡大しているように思えます。

これは宴席で、和食メニューのなかの刺身です。
京都で食べたわけですが、海でとれた魚を運んできて、料理になった。
食べ物を語る場合には、奥が深いです。
写真はイメージで、それだけでは漠然としています。
それに内容をつけるには、言葉が必要、ここなら文章が必要ですね。
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