物語と日記

内海淡水のフィクション・物語と日記のブログです

日記181226

_20181226_130841
はなと小説ホームページ
自宅から一番近い御陵が花山天皇陵になります、歩いて10分とかからない。
花山と書いて「かざん」または「かさん」と読むとウイキペディアの辞書にあります。
在位は984年9月から986年8月とありますから、天皇であられたのは二年ですね。
北朝四人をいれて128人の天皇の第65代目になるとあります。

ここの場所は、紙屋川の西側で、京都の北西、平野神社と金閣寺の間くらいの位置です。
その当時には、平野神社はあったけど金閣寺となる寺もなかった時代です。
そのころ、その界隈は、雑木林だったのか、草地だったのか、いまは平地だから平地ですね。
この界隈、北から三条天皇陵、この花山天皇陵、二条天皇陵とありますね。

平安京の一条から北西に天皇陵、火葬塚も点在していますね。
憶測ばかりで書いているんですが、紙屋川より東側は蓮台野の死者を葬る処です。
西側、金閣寺の背景となる衣笠山も死者を葬った山だと何処かに書いてありました。
この界隈、生きる場というより死んで葬られる場、そんなイメージがわいてきます。
時代は、紫式部の源氏物語が書かれたころの時代です。




日記181225

_20180803_142548
はなと小説ホームページ
このブログは、小説を書こうとして創ったブログなのに、日記になりました。
小説については、別のブログで、アダルト領域にして、続きを書いています。
微妙なんですね、一般とアダルトの境界線、でも性描写があるからアダルトにしました。
それにイメージとしての写真も、一般だとヌードは使えませんがアダルトは使えます。
なによりも、アクセス数ですが、一般だと日に数人のアクセスが、アダルトはその10倍。
なにより、人の内面というか本音を求めているからだと思うところです。
日本はいびつなほど性表現には封印をしていると思っています。
もちろん世界が開放されているかといえば、決してそうではないと思いますが。
表現と性、性表現の問題ですが、いまはアダルトにすればかなりOKだと思います。
こんなこと言ってることがやばいと思うところですが、表現者は、知るべきです。
その領域を、使うにしろ使わないにしろ、避けて通ってはいけないと考えています。

日記181224

_20180101_224520
はなと小説ホームページ
クリスマスイブだから、ローストチキンの骨付きを食べる、なんてねぇ。
フライドチキンというのもあるけど、クリスマスだからといって食べるというのもなぁ。
といいながら、あれば食べたいけれど、買ってないから食べません。
今夜は、ポーク、豚、焼いて食べることにあると思うけど、未定です。
やっぱり、食べ物に固執しますね、生きる源ですから、当然といえば当然ですね。
それに、話題としても罪はなく、無難な話題じゃありませんか。
でも、ドストエフスキーの罪と罰には、食べ物の話はなかったように思う。
寒くなってくると、無性にドストとか太宰とか思い出すけど、高橋和巳がいいな。
日本国紀の単行本を買いましたけど、積読にならないようにしないといけません。
これまでにも、本は大量に買っていて、大半は手元になくなっていて、今更です。
ほら、偉い人へのインタビューなんて本棚を背景にそのお方がお写りになる。
本棚は、知識の宝庫だから、それを持っているだけで、偉い人にみえる。
そういう張りぼての見せかけは、針で突いて窄ませてやろうじゃないですか。
まあ、愚痴ったってしやないですね、今更、前向いて、歩いていこう!


日記181219

_20181218_144550
はなと小説ホームページ
昨日のこと、京都に福王子という処があって、福王子神社があり、そこへ行きました。
目的は、そこから北へいくと天皇陵があるというので、そこへ行くことでした。
村上天皇陵は突き当りから階段になっていて、何度か折れて御陵の前に立ちました。
直近は、嵯峨から宇多野にある天皇陵を探しあてて、写真に撮っています。
雑木林と切り石に白鳥居と、色彩的には殺風景な色合いで、これが日本イメージか、とも。
でも神社は朱塗りで、きらびやかな色で、これも日本イメージかと思うのです。
イメージを色で表すというのは、言葉と心象、目に映るイメージと心象、これですね。

もう10年から5年前になりますが、天、地、海、の写真を撮っておりました。
元始のイメージをカメラに収めて目に見えるようにした写真集でした。
苔、草、樹、は生命の起源をイメージしていて、写真集にしたものでした。
昨年あたりから文化の初めのイメージで、人間が造った場所を、写真にしています。
このうち、古墳とか御陵とか、権力の象徴的な場所を、写真にしだしています。
国の形というイメージですが、天皇制を崇拝するわけではありません。
それはむしろ逆で、その形はいずれ解体していくものだというのがぼくの思いです。

ちょっと体勢の立て直しをしないといけないなぁ、と思っているところです。
自分の体勢ですが、生活の形といえばいいのか、組みなおしが必要かと思う。
でも、どうしたら気持ちが落ち着くのかと思うと、どうしたらいいのかわからない。
作家を続けたいとは、思っていて、認められないけれど、自己流でやるしかない。
なんか、さみしい人生やなぁ、と思うけど、これは何も持たないからかも知れない。
ひとつひとつ自分の意匠を捨てていくと、何も残らない、これがさみしい気持ちにさせる。
でも、何度も捨てながら、ようここまで生きてこれたなぁ、とも思うところです。





日記181208

_20181108_145324
はなと小説ホームページ
今日から明日にかけて北国では雪が降るという予報です。
寒くなりました、冬が到来してきています。
金沢へ自家用車でいく最後が、明後日からの予定です。
区切りがつけようと思っています。
いくつかの縁を切ってきて、来年は再出発の年としたいと思います。
思い起こせばこれまでにも、ふりだしに戻って再出発、と何度か思ってきた。
何度か再出発をして、ぐるぐる回ってきて、もう最後の出発でしょうね。

ふりだしに戻って、現代表現研究所、フォトハウス表現塾、これの成熟をもくろむ。
総合文化研究所が掲げた四つの区分があります。
学校、生産、発信、交流、この四つは縦段階です。
これにたいして現代表現研究所は、絵画、写真、映像、音楽、文学と横のひろがりです。
学校、生産、発信、交流のレベルと絵画、写真、映像、音楽、文学のレベルを合わせる。
文学のひとつ、語学、英語を学ぶ、そこから領域の奥を見る、これは可能です。
石塚さんには、この領域をゆだねていけば、いいのかも知れませんね。

グローバル化していく、資本が集中していく、個人がないがしろにされていく。
この個人を救済とはいわないが、ないがしろにされないために、どうするか。
個人が自立して、生産にも携わり、個人としての足場を確保する、拠って起つ場所。
この場所を、それぞれのイメージの中に創っていって、共有するという概念でしょうか。
自分の居る場所、自分の居場所、この居場所を創ろうというのが大きな目的ですね。
まさに現代は個人が目覚めて自立する時代です。
自立するためには、そのことを自覚する必要があり、これを促す塾が必要、ということ。



日記181207

_20181206_153207
はなと小説ホームページ
シューベルトのピアノ曲をかけていて、即興曲を聴いています。
即興曲といってもいくつかあるみたいで、D899、第三番、第四番と書かれています。
それからD935、第一番、とか演奏者はケンプさん、文、読んでいても、感動は起こりませんね。
いつごろだったのか、まだ高校生だったか、LPレコードを買った中にこの曲があった。

ピアノを習いたいと思っていたころ、でもピアノなんて高嶺の花で、生活環境にはなかった。
十字屋へ就職してピアノを練習しはじめ、茨木の店まで習いに行って、二年間。
その頃の事、鮮明に思い出しますけど、それ以来ピアノフアンです。
でも、この音の連なりが重たいなと感じた時期があって、バッハのヴァイオリン。
パルテータとか、でも、いまの心境は、ピアノで、こころ癒される、掻き立てられる。

秋丸さんが、カプラーの著作の背表紙を載せ、フェースブックの記事にしていました。
先ほど、自分の過去の記事かと一瞬思った、見覚えのある書籍が並んでいる。
いま、そのカプラーのことを書くには知識が自分のモノにはなっていなくて書けない。
秋丸さんはまだ若い学者さんですね、日本絵画とか研究されているんですが、素敵です。

ぼくにはもうそんなに時間がないんですよ、10年で82歳、20年ゆうたら92歳ですよ。
それに頭の中がほんわりしてきていて、思考回路が働かなくなってきている。
いつまでも現役で、プロジェクトとか立ち上げたいと思って、やっているけど。
ワークショップも開催する予定で、来年には、早々にやっていこうと思っています。
今日はここまで、うっとり、まどろんでいます。

ギャラリー
  • 食べ物語-2-
  • 物語190215
  • 物語190215
  • 物語190213
  • 物語190212
  • 物語190210
  • 物語190209
  • 物語190209
  • 物語190208
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ