物語と写真

中川シゲオの物語と写真のブログです

食べ物語-3-

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はなと小説ホームページ
食べ物については、まったく高級志向ではなくて、いかに廉価に賄うかがテーマです。
なぜそうなのかといえば、たぶん、お金がないから、これが大きな理由だと思います。
写真を撮るようになって、フィルム代とかにお金をまわすためには、食べ物代を減らす。
そういう習性がついてしまったのかも知れないと、思うことしきりです。
牛鍋ですが、松屋のが520円(写真)で、他の店より、ここが一番安いですね。
牛鍋に、卵と、少なめのご飯と、味噌汁、がついてきて、リーズナブルなんです。
ICOCAカードが使えるから、現金払う抵抗感もなくて、気分良好、リッチになります。

手を込めない方がいい、自然に近いのが一番いい、生き方もこの方向です。
テクニックは使わない、なるべく自然のママが良い、と思うのは、自分が出来ないから。
野菜より山菜が好き、というのも山菜には自然さがあり、肥料も自然のままだから。
生き物の尊厳を、あまりコントロールしない方がいいと思っているわけです。
人間にも、あまり変な教育を施さない方がいい、自然を愛する心を育てる方が良い。
とんでもない技術の中に生きている現代人の自分ですが、自然の方へ、です。
自給自足なんて無理なことなのに、そういう方向へと気持ちは向いているんです。
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食べ物語-2-

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はなと小説ホームページ
かって子供の頃、洋食といえばスター食堂、そこのランチをよく食べさせてもらいました。
千本の映画館の向かいにあり、新京極のなかには本店がありました。
千本の店は無くなりましたが、新京極の店は、現在でもありますね。
孫を連れて、昔懐かし、スター食堂のランチを食べに、行きました。
今は、大手資本のチェーン店が、廉価でランチメニューを提供していますね。
食については、洋食ランチ、600円から1000円くらいで、食べられますね。
ごはん、カレー、スープ、それにフリードリンク、野菜食べ放題、凄いですね。
洋食の店、回転寿司の店、牛丼の店、カレーの店、外食産業大流行りですね。
豊饒の海じゃないけれど、豊饒の食ですね、まさに、現代日本、豊饒です。
でも、食に関しては、ピンからキリまであって、どれを選ぶか、迷います。
これでいいのか食文化、なんて嘆いてみても、良質なものを食べる財力がないです。

物語190215

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日本寫眞記(2)
或る時、嵐電帷子ノ辻駅からJR太秦駅へいく道筋に古墳があると知りました。
この界隈も含め、太秦から嵯峨野一帯を古墳群といっていて、その一つが此処。
垂箕山古墳(たるみやまこふん)とされていて、秦一族の墓だろうとの推測です。
後期古墳時代のもの六世紀半の古墳のようですが、今は皇族の墓になっています。
なんだか、分かりにくいところですが、ぼく自身も混沌としてきます。

日本寫眞記と題して、ここは第二シリーズの終わりの項とします。
そもそもの題名自体がピンと来ていなくて、たとえば日本生成記なんかを考えています。
でも、生成記なんて名付けるのも、まだ時代が早すぎると思っています。
日本の現在からこの先、日本創生の神話が、再度浮上する時代を待つところです。
現在の政治家たちの心の状況を読み解くと、察するに、神話時代に戻そうとの気配です。
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物語190213

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日本寫眞記(2)
圓山陵墓参考地と書かれた立札を探しあててゆるい丘を上っていきました。
大覚寺の大沢の池から南へ下がった左側、住宅の裏になる場所です。
何度か上って、南斜面に大きな石があるのを見つけて、なに?、と思いました。
石棺の蓋としての石だろうと思いましたが、たぶんそうでしょう。
まだ発掘されていない石棺なのかもしれない、参考地とあるから皇族の墓か。
それなら、年代はかなり下がってくるわけで、平安京造営以後ですかね。

嵯峨野古墳群という呼び名があることを知って、古墳を見に行こうと思った。
嵯峨野の風景をロングで撮っていて、ポイントが定まらない頃でした。
名がわからない、畠の中に丘を見つけて、古墳かも、と思っているなかでした。
現場で学ぶ、ということで知識を重ねていく方法をとっている取材です。
まとめられた書物を読んで、それに基づいて写真を撮りにいく、という方法ではなくて。
現地で得る感触と知識と、若干の参考文献で、写真と文をまとめようと思っているのです。
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日本寫眞記(2)
大覚寺の大沢の池を起点に、広沢の池に向けて歩くコースをとります。
嵯峨野旅情と自分では名付けているんですが、春に夏に秋に、歩きます。
逆に、山越のバス停から千代の古道をコースに添って大沢の池をめざします。
昨年には、その道中に古墳や陵があるのに気づいて、それを求めてまわります。
狐塚(きつねつか)古墳は、竹藪の中でした。
グーグルマップでは近くまで来ているのに、見つけられなくて、右往左往します。
草の種がズボンにきっちりついてしまって、あとからひとつひとつと手で取る。
植物も、子孫を残すのに必死なんやろな、たまに出会えた動くものにへばりつく。

石室の入り口は柵と施錠で、内部を覗くと光が届く範囲で見える。
天塚古墳、甲塚古墳、それにこの狐塚古墳と、石室の有る古墳を巡ったことになる。
その前に蛇塚古墳を取材してあるのですが、それは巨石が露わになっている古墳。
このシリーズに入れるとしたら、次に入れる、まだ思案中です。
というのも蛇塚古墳は、イメージ的に、史蹟として整備されていて、イメージが合わない。
静止画(写真)で連ねるわけだから、全体イメージを想定するわけです。
あと二回ほど連載して、9集まで連ねて終わろうか、あと二つはどうするか、です。
まだ、頭の中で、思案中のところです。
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物語190210

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日本寫眞記(2)
今日は甲塚(かぶとつか)古墳を日本寫眞記(2)-6-として掲載しました。
嵯峨野の地域になると思うのですが、有栖川が流れる南側になりますね。
位置的には、広沢の池があって、現在の遍照寺がって、そこから南300mあたり。
最初に行ったのは昨年の夏の終わりかと思います。
グーグルのマップを使いだして、位置を探しているのに、すぐそばなのにわからない。
わからないままに探して、造園会社の敷地のなかに見つけました。
地元の人が、鳥居を建て、石室の入り口には鉄柵が施してありました。

誰の墓なのかわからないですが、この地の豪族、支配していた秦氏関連みたい。
すでに階級があった時代なのか、支配関係があって、頂点に近い奴の墓ですね。
庶民は風葬、野晒し、朽ち果てていく、という風に、心が滅び、身が滅んでいく。
ぼくもここまできてしまって、風葬じゃなくて火葬場にて焼却される身です。
なにかしら、精神のもがりみたいな、ふつふつと感じるものがあります。
日本の生成、そのあたりの精神を感じていきたいと想う思いで、繋げています。
いま、これから、流行していく兆しが見えていて、ある種、危険だな、と思っています。
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