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日本寫眞記(2)-4-
嵯峨や嵯峨野、それに太秦という地域に愛着を持つ感性を紐解きます。
十代の多感な三年間をこの界隈に親しんだからだと思っています。
16才になるとき嵯峨野高校に入学、18才の終わりまで高校生でした。
この年代は1963年から1966年、昭和38年から昭和41年春までです。
今年は2019年ですから、50年以上、半世紀以上の年月が過ぎています。
自分が育った風土の一部が、この地域と共生していると思えるのです。

ヒトの心というか、感性、ヒトが拠って起つ場所があるとしたら、ぼくには此処。
そんな思いが近年していて、具体的にこの地域を歩いて回っている感じです。
そのころには作家になることを夢見ていたなぁ、具体的に動こうとしていたなぁ。
もとからサラリーマンになるなんて考えられなかったし、職人も考えられなかった。
中学生から高校生、二年生のころまでは音楽家になりたいけどなぁ、と思っていた。
高校二年頃から作家、詩人より小説家になりたいと現実味を帯びて思っていました。

もう人生終わりかけてきている現在、自分と風土の関係の中に感覚があります。
想いだから、わからない、言葉にはならない、でも言葉を連ねる今です。
写真を連ねているけれど、やっぱり底辺には言葉がある、そう思うところです。
言葉、文章、それにイメージとしての写真・静止画、これの組み合わせですね。
言葉なしの、インパクトある写真は、撮れない、性の領域はインパクトあるけど、撮れない。
どうしたことか、いつのまにか、この風土の中にカメラを持ち込んで、終えようとしている。
中川繁夫のホームページ