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日本寫眞記(2)
今日は甲塚(かぶとつか)古墳を日本寫眞記(2)-6-として掲載しました。
嵯峨野の地域になると思うのですが、有栖川が流れる南側になりますね。
位置的には、広沢の池があって、現在の遍照寺がって、そこから南300mあたり。
最初に行ったのは昨年の夏の終わりかと思います。
グーグルのマップを使いだして、位置を探しているのに、すぐそばなのにわからない。
わからないままに探して、造園会社の敷地のなかに見つけました。
地元の人が、鳥居を建て、石室の入り口には鉄柵が施してありました。

誰の墓なのかわからないですが、この地の豪族、支配していた秦氏関連みたい。
すでに階級があった時代なのか、支配関係があって、頂点に近い奴の墓ですね。
庶民は風葬、野晒し、朽ち果てていく、という風に、心が滅び、身が滅んでいく。
ぼくもここまできてしまって、風葬じゃなくて火葬場にて焼却される身です。
なにかしら、精神のもがりみたいな、ふつふつと感じるものがあります。
日本の生成、そのあたりの精神を感じていきたいと想う思いで、繋げています。
いま、これから、流行していく兆しが見えていて、ある種、危険だな、と思っています。
中川繁夫のホームページ