物語と日記

内海淡水のフィクション・物語と日記のブログです

2018年12月

日記181231

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はなと小説ホームページ
昨日は、京都の錦市場へ買い物に行ってまいりました。
ここ数年、毎年この時期に、錦のこの市場に赴いています。
彼女が正月の接待用に料理を作るための買い出しです。
ぼくの家族は、既存のおせち料理のパックは買い求めておりません。
とはいいながら、出来合いの物を買っているのが実情ですが、です。

大晦日、2018年(平成30年)12月31日、これが本日の日付です。
なにかと変化があった年でした。
成熟といえば、現代表現研究所の開所とフォトハウス表現塾の開塾です。
これまでのことをリセットして、新しい価値軸を立てる、そのとっかかりです。
既存の価値の既定路線しか走れない輩が多いなか、そこに変異を起こさせること。
小さな軸ではあるけれど、新機軸が姿を現したと感じる人はまだ少ないと思う。
その場はグローバル化する世界のなかで、自分を発見していくトレーニングの場です。

今年の4月からはカフェ&プレスを開催、9月からはフォトクラブ京都の例会開催。
枠組みの基本形が出来てきたところです。
この器に、どのようにして人を呼び込めるか、これが次の課題だと思っています。
でも、何人かの方から、賛意をいただき、力強く感じております、感謝です。
来年も、よろしくお導きのほど、お願いいたします。


日記181229

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はなと小説ホームページ
いよいよ年の瀬も押し迫ってきましたね、今日は12月29日日曜日です。
ここも疎らなところで、人があまり来ません。
開店休業みたいなブログですが、次に備えて残しております。
連載で小説を書いていたブログですが、いまは休載中というところです。
只今は、二編、シリーズで書いておりまして、別の場所で連載中です。
愛の部屋、愛の物語、この二編ですが、いずれも現代的愛の形を追求です。
究極のところ愛の問題を扱うのが、ぼくの小説の本筋かと思っています。
リアルロマン、なんて言葉を紡ぎましたけれど、浪漫派でもあるかと思います。
今年も、いろいろ、お世話になりました、ありがとうございました、感謝です。

日記181226

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自宅から一番近い御陵が花山天皇陵になります、歩いて10分とかからない。
花山と書いて「かざん」または「かさん」と読むとウイキペディアの辞書にあります。
在位は984年9月から986年8月とありますから、天皇であられたのは二年ですね。
北朝四人をいれて128人の天皇の第65代目になるとあります。

ここの場所は、紙屋川の西側で、京都の北西、平野神社と金閣寺の間くらいの位置です。
その当時には、平野神社はあったけど金閣寺となる寺もなかった時代です。
そのころ、その界隈は、雑木林だったのか、草地だったのか、いまは平地だから平地ですね。
この界隈、北から三条天皇陵、この花山天皇陵、二条天皇陵とありますね。

平安京の一条から北西に天皇陵、火葬塚も点在していますね。
憶測ばかりで書いているんですが、紙屋川より東側は蓮台野の死者を葬る処です。
西側、金閣寺の背景となる衣笠山も死者を葬った山だと何処かに書いてありました。
この界隈、生きる場というより死んで葬られる場、そんなイメージがわいてきます。
時代は、紫式部の源氏物語が書かれたころの時代です。




日記181225

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はなと小説ホームページ
このブログは、小説を書こうとして創ったブログなのに、日記になりました。
小説については、別のブログで、アダルト領域にして、続きを書いています。
微妙なんですね、一般とアダルトの境界線、でも性描写があるからアダルトにしました。
それにイメージとしての写真も、一般だとヌードは使えませんがアダルトは使えます。
なによりも、アクセス数ですが、一般だと日に数人のアクセスが、アダルトはその10倍。
なにより、人の内面というか本音を求めているからだと思うところです。
日本はいびつなほど性表現には封印をしていると思っています。
もちろん世界が開放されているかといえば、決してそうではないと思いますが。
表現と性、性表現の問題ですが、いまはアダルトにすればかなりOKだと思います。
こんなこと言ってることがやばいと思うところですが、表現者は、知るべきです。
その領域を、使うにしろ使わないにしろ、避けて通ってはいけないと考えています。

日記181224

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クリスマスイブだから、ローストチキンの骨付きを食べる、なんてねぇ。
フライドチキンというのもあるけど、クリスマスだからといって食べるというのもなぁ。
といいながら、あれば食べたいけれど、買ってないから食べません。
今夜は、ポーク、豚、焼いて食べることにあると思うけど、未定です。
やっぱり、食べ物に固執しますね、生きる源ですから、当然といえば当然ですね。
それに、話題としても罪はなく、無難な話題じゃありませんか。
でも、ドストエフスキーの罪と罰には、食べ物の話はなかったように思う。
寒くなってくると、無性にドストとか太宰とか思い出すけど、高橋和巳がいいな。
日本国紀の単行本を買いましたけど、積読にならないようにしないといけません。
これまでにも、本は大量に買っていて、大半は手元になくなっていて、今更です。
ほら、偉い人へのインタビューなんて本棚を背景にそのお方がお写りになる。
本棚は、知識の宝庫だから、それを持っているだけで、偉い人にみえる。
そういう張りぼての見せかけは、針で突いて窄ませてやろうじゃないですか。
まあ、愚痴ったってしやないですね、今更、前向いて、歩いていこう!


日記181219

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昨日のこと、京都に福王子という処があって、福王子神社があり、そこへ行きました。
目的は、そこから北へいくと天皇陵があるというので、そこへ行くことでした。
村上天皇陵は突き当りから階段になっていて、何度か折れて御陵の前に立ちました。
直近は、嵯峨から宇多野にある天皇陵を探しあてて、写真に撮っています。
雑木林と切り石に白鳥居と、色彩的には殺風景な色合いで、これが日本イメージか、とも。
でも神社は朱塗りで、きらびやかな色で、これも日本イメージかと思うのです。
イメージを色で表すというのは、言葉と心象、目に映るイメージと心象、これですね。

もう10年から5年前になりますが、天、地、海、の写真を撮っておりました。
元始のイメージをカメラに収めて目に見えるようにした写真集でした。
苔、草、樹、は生命の起源をイメージしていて、写真集にしたものでした。
昨年あたりから文化の初めのイメージで、人間が造った場所を、写真にしています。
このうち、古墳とか御陵とか、権力の象徴的な場所を、写真にしだしています。
国の形というイメージですが、天皇制を崇拝するわけではありません。
それはむしろ逆で、その形はいずれ解体していくものだというのがぼくの思いです。

ちょっと体勢の立て直しをしないといけないなぁ、と思っているところです。
自分の体勢ですが、生活の形といえばいいのか、組みなおしが必要かと思う。
でも、どうしたら気持ちが落ち着くのかと思うと、どうしたらいいのかわからない。
作家を続けたいとは、思っていて、認められないけれど、自己流でやるしかない。
なんか、さみしい人生やなぁ、と思うけど、これは何も持たないからかも知れない。
ひとつひとつ自分の意匠を捨てていくと、何も残らない、これがさみしい気持ちにさせる。
でも、何度も捨てながら、ようここまで生きてこれたなぁ、とも思うところです。





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